take it easy. 
気楽にいきましょ、気楽に。 
『御巣鷹山と生きる―日航機墜落事故遺族の25年』 これは現代社会のバイブルだ。
確かに愛した人は墓標の下で眠っている。
風にも星にもなりはしない。
だが同時に、亡くなった瞬間から愛する人の心と同化し、
その人の中で生き続けている。

遺族だけが苦しみ、何かを変えようと奔走する社会であってはならない。
社会全体がそこから何かを学び、改善し、成熟させて、悲劇の再発防止につなげなければならない。

ヒューマンエラーが人間から切っても切り離せない宿命であるならば、
命の尊さと共にその宿命をしっかり認識するための教育を行い、
安全に対する一人一人の意識を高めていく社会を構築する必要がある。
ヒューマンエラーはイコール、ソーシャルエラーでもある。

安全は他人任せにしてはいけない。
安全に神話など決してない。
少しでも安全性を高めようとする日々の絶え間ない努力がない限り、
もはやこの社会のどこにも安全など存在はしない。

御巣鷹山と生きる―日航機墜落事故遺族の25年



この本は、
悲しみを癒し、
生きる意味と勇気を与え、
あるべき社会への道標ともなる、
現代のバイブルだ。


「人間のすることはすべて間違っていると考えるほうがいい。
すべて間違っているが、せめて恕(ゆる)される間違いを選ぼうとする努力はあっていい。」 ― 原錙愡笋殺した少女』

私が殺した少女 (ハヤカワ文庫JA)


Posted by : wa-dy | 日航123便 | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0)
尾根のかなたに 〜父と息子の日航機墜落事故〜 ドラマWスペシャル
ドラマW『プラチナタウン』第一話を観終わって一息ついた次の瞬間、
『524人乗り日航機墜落』の新聞トップの見出しとジャンボ機の写真、
「日本航空の羽田発大阪行きのジャンボ機が墜落した模様です」というアナウンス、
「原作 門田隆将 尾根のかなたに 父と息子の日航機墜落事故(小学館文庫)※」というテロップが飛び込んできた。
続けて大写しになる
1985年8月12日 日航機墜落事故
の文字。
衝撃と共に、遂にWOWOWが焦点を当ててくれたか!と期待が膨らみかけた次の瞬間、「監督 若松節朗『沈まぬ太陽』」のテロップを目にして急激にその期待が萎んでしまった。

この監督とはこれまで非常に相性が悪い。
『ホワイトアウト』のスケール感、緊張感、テンポのなさ。
『沈まぬ太陽』の事故、遺族、悲しみの描き方の希薄さ。(なぜこんな中身のない映画にアカデミー賞が与えられたのか未だに信じられない思いでいっぱいだ。)
しかも、この映画では事故を都合のいいようにしか利用していないにも関わらず、エンドロールの最後に、
飛行機事故による犠牲者の皆様の御冥福と
ご遺族の方々へ哀悼の意を表します。
この映画があらゆる交通機関の
「安全・安心」促進の一助になることを願います。
というメッセージまで入れている。
事故そのものを何も描けていないにもかかわらず、あらゆる交通機関の「安全・安心」とは、おこがましいにも程がある。

その一方で、「脚本 岡田惠和『おひさま』」のテロップには救われた。
先の映画で“何も描けていない”ことは十分認識しているはずだ。
その分も、このドラマで是非描ききってほしい。
どうかどうか三度目の正直で、いい意味で裏切ってくれますように...。

風にそよぐ墓標−父と息子の日航機墜落事故−


※『風にそよぐ墓標−父と息子の日航機墜落事故−』の文庫化『沈まぬ太陽』
Posted by : wa-dy | 日航123便 | 12:23 | comments(0) | trackbacks(0)
『BRAVE HEARTS 海猿』に人命救助の原点を見た!
ハイドロの大部分がやられ、ギアも半分が降りない。何の前触れもなく突然過酷な運命を強いられた300人を超える乗員乗客。救命胴衣を身につけ、前傾姿勢を取りながら、震える手で遺書を書く男性。一人旅の少年を励まし、恐怖に怯えながらも、不時着後の指示を必死に復唱するキャビンアテンダント...。

“そのシーン”は、まさに日航123便の“そのときの機内”を再現したかのような有様だった。(背筋に戦慄が走った。)

人命救助には、高度なスキルと冷静な判断、そして勇者の心が必要である。
確かにそうだろう。だが、さらに云えば、
一人でも多くの人を助けたいという強い想いと、その想いを常に共有し迅速に実行に移せる体制と組織力、そしてそれらを一つのベクトルに導くリーダーシップが必要なのだ。
だからその総体を指して“ブレイブハーツ”なのだ。(決して“ブレイブハート”ではない。)

BRAVE HEARTS 海猿 スタンダード・エディション [DVD]


残念ながら、あのときにはその全てが欠けていた...。(特にリーダーシップにはその欠片もなかった。)
助けたいという多くの想いは、組織の力によって裏切られた。
理想を求め、準備をしておかなければ、再び悲劇は繰り返される。
歴史の渦から抜け出すことはできない。

この物語は決して絵空事ではない。
全員を助けたい、という想いも決して夢物語ではない。
人事を尽くして初めて奇跡は起きる。
奇跡は起きるものではなく、起こすものなのだ。
Posted by : wa-dy | 日航123便 | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0)
勇者たれ
3月のあの震災のとき、ちょうど私は、
『風にそよぐ墓標』(門田隆将/集英社)を読んでいた。

風にそよぐ墓標−父と息子の日航機墜落事故−



そして、連日メディアから垂れ流される悲惨な映像を見ながら、
本書の冒頭で紹介されている詩を繰り返し念じていた。
絶望と悲哀と寂寞とに堪へ得らるる如き勇者たれ
運命に従ふものを勇者といふ
田山花袋

絶望を乗り越え、今は“父親”となった当時の“息子たち”が、
日航機墜落事故で自分達を襲った悲劇について、
初めて重たい口を開き、封じ込めていた心を吐露した。
誰もが何度も何度も何度も願ったであろう。
夢であってほしい...。夢であってくれ...。
だが、その祈りは無情に裏切られ、
目覚める度に例えようのない鈍い痛みを伴い、
悪夢以上の不条理な現実と、虚無以上の底なしの喪失感が待ち受けていた。

発行日はちょうど一年前の今日。
事故から四半世紀が経ち、九十六歳となった当時の上野村村長の言葉もエピローグで紹介されていた。
黒澤さんの頭にあったのは、やはり死んでいった特攻隊員たちのことだった。
(中略)
だからこそ恒久的に事故の犠牲者を慰霊していくことに邁進した。
それだけに黒澤さんは、事故の時、詳細な墜落地点が十時間もわからなかったことが許せない。
(中略)
日本の政府には大事故の救助救援をするときの構えができていない。
船であれ飛行機であれ、事故のときはどうするかということを平素から決めておくべきだと、黒澤さんは言う。
(中略)
それは、日本政府に国民の生命・財産を守るという根本がないからなのだろうか。

そしてまた一年が過ぎた。

安全を疎かにすると人が死ぬという過ちを、
何度繰り返せばこの社会は成熟するのだろうか。
何度悲劇を繰り返せば、
一歩でも前進できるのであろうか。
社会的な欠陥を有耶無耶にし、誤魔化し、
保身と時だけを重ね、記憶の彼方に封じ込めていては、
新たな悲劇がまた繰り返されるだけだ。

口を開かなければならないのは、
遺族だけではないはずだ。
Posted by : wa-dy | 日航123便 | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0)
三つ目の惨事 〜25年目の夏〜
イラク戦争真っ只中の2003年11月、バグダッド空港を離陸したばかりの輸送機(A300機)が武装ゲリラの地対空ミサイルの攻撃を左翼に受け、すべての油圧システムが機能停止し、操縦不能に陥ったにも関わらず、奇跡の着陸を果たし、クルー3人すべてが無事生還したというドキュメント番組を少し前にテレヴィジョンで見た。普段、民放の番組表はまったくチェックしないし、欠かさず見ている番組もほとんどないし(笑点くらいか)、この番組の番宣も見てもいないから、偶然こういう番組を目にしてしまうのは本当に不思議な巡りあわせだ。
URL奇跡体験!アンビリバボー:10.05.06放送分

航空機の構造上、操縦室にいたクルーたちは翼から出火しているという事実を知ることはできなかった。 しかし、近くを飛行していたヘリからの連絡によって、彼らは衝撃の事実を知った。 エリック機長は知っていた、油圧コントロールが全く効かなくなった状態で、無事着陸に成功した例がないことを。
(中略)
A300機は、結果的にエンジン出力の調整だけで機体の傾き、針路、高度、速度などをすべてコントロールして着陸に臨まなくてはならない。 それは不可能とも言える試みだった。

その“不可能な試み”を、それより18年も前の夏に、突然強いられたジャンボ機があった。乗客乗員合わせて524名を乗せた日航123便だ。バグダッドの例とは異なり、操縦室のクルーたちは機体に何が起こったのか最後までわからなかったと思われる。そんな過酷な状況の中でも、左右のエンジン出力の調整等により、奇跡の生還に向けて必死の操縦をしていた。機体は迷走しながらも、確実に羽田(あるいは米軍横田基地)へ近づいていたのだ。だが、....。

機体は山梨県大月市上空で右旋回しながら急激に降下を続けた。依然アンコントローラブルの状態。しかも原因もまったく不明。そんな中で発せられた機長の声。
46分33秒「これはだめかもわからんね」
機長として何らかの大きな決断をしなければならない局面に達しつつあると判断した瞬間、とも取れる発言だ。
刻一刻と迫る危機的状況。副操縦士に操縦を指示する責務を果たしながらも、究極の選択を迫られていたのかもしれない。アンコントローラブルのまま、滑走路に不時着(激突)したらどうなるか?あるいは、空港ターミナルや他の旅客機、さらには市街地に突っ込んだらどうなるか?まして乗客が500人以上のジャンボ機。(砂漠の中にあるバグダッド空港で、クルー3名のみが乗っていた輸送機とは明らかに話が違う。)東に進むにつれ、相模湖の遥か向こうに東京という逃げ場のない大都会が見えてくる。高度が下がるにつれ、県境に連なる山々も間近に迫ってきた。
47分41秒「ターンライト」
47分43秒「山だ」
47分44秒「コントロールとれみぎ ライトターン」
47分53秒「山にぶつかるぞ」
47分55秒「ライトターン」
47分59秒「マックパワー」
48分05秒「レフトターンだ」
48分08秒「レフトターン」
48分09秒「パワーあげろ」
48分10秒「レフトターン こんどは」
48分12秒「レフトターン」
   ・・・・・
高度を下げることに成功し、進路もどうにか空港方面へと向けられていたが、そこに最悪のケースのシナリオと、山という障壁が立ちふさがった。
それが最後の決断へとつながったのかもしれない。
48分40秒「やまいくぞ」
事ここに至り、全ての命を救うことはかなり厳しい状況となった。ある意味絶望的とも云える。だが、その中でも、他への被害を最小限に、かつ、少しでも多くの命を救いたい、という願いと、自らの命を賭してもその使命を成し遂げなければならい、という自分たちの強い意志と勇気を奮い起こすために、次の言葉があったんじゃないかと思う。
50分06秒「どーんといこうや」

だが、その“遺志”も多くは裏切られる形となった。

ある警察関係者の著書を読んでも、それがよくわかる。例えば、アントヌッチ証言に触れて、枝葉末節的な証言の誤りを数々指摘しては、“もっと助けられたはず”という氏の主張に否定的な見解を述べているが、こういう考え方の持ち主では、最初から多くは望めない。これでは見つけられるものも見つけられないだろう。(まさに木を見て森を見ずだ。)一つの例としては、氏が証言の中で言及している救援隊について、“海兵隊”というのは認識誤りであり、“陸軍”が正しいと指摘しているが、そんな肩書きなんかどうでもいい。彼らはまさしく、そのときそこにいて、少なくとも現場に下りようとしていたのだ。(だから私の以前の記事「二つの惨事 アントヌッチ証言」でもあえて訂正はしていない。そんなことは決して問題の本質ではないからだ。)

このようなやりきれない思いを、『御巣鷹の謎を追う 日航123便事故20年』の著者、米田憲司氏がうまく代弁してくれている。

御巣鷹の謎を追う (宝島SUGOI文庫)



結果論として、「たとえ救助隊が早く到着していても亡くなっていた」という意見があるが、それは違う。助かった、助からなかった云々の問題ではない。自衛隊の能力からして墜落現場への到着は、12日中に可能だったということである。

生存者の一人、日航の客室乗務員だった落合由美さんが「ヘリコプターの音がして、ずっと手を振っていたのですけど」という証言は、空の明るさから考えて米軍ヘリの可能性が高いといえる。アントヌッチ氏は「海兵隊のヘリは、落合由美さんが見つけられるところまで接近していたのだ」といっている。だとすれば、落合さんら四人の生存者がいたスゲノ沢の上空付近となる。そこは生存者の証言では、まだまだ当時は生きていた人たちがいた場所である。その時点で生存者が一人でも確認されていたら、事態は大きく変わっていただろう。夜であろうが闇であろうが、何が何でも墜落現場をめざしていたに違いない。アントヌッチ証言の重さはそういうところにある。

この事故には三つ目の惨事が存在する。それは、あれから25年経とうしている今でも、事故の本質とそれに付随して起きた不可思議な事象の数々が、誰もが納得する形で何一つ解明されていない点である。
Posted by : wa-dy | 日航123便 | 15:21 | comments(0) | trackbacks(0)
墜落現場は一つ
元群馬県警察本部長、元日航機事故対策本部長、河村一男氏著『日航機墜落 123便、捜索の真相』と『日航機遺体収容 123便、事故処理の真相』を読了。

日航機墜落



日航機遺体収容―123便、事故処理の真相



2冊とも市民図書館を利用した。最初に後者を見つけ、次にどうしても前者を読みたくなってリクエストしたが、登録されていなかったので、わざわざ申込書を書き直して、他の図書館からの貸し出しを希望していた。それからまったく連絡がないので、どうなったのかな(忘れ去られたかなしょんぼり)と半ば諦めていたが、季節が変わった頃に、期限がだいぶ過ぎた本を返しに行くと、返却受付時に、
女「リクエストされていた本、届いてますよ。」
と云われ、嬉しい驚きがあったびっくり。(しょんぼり連絡はしてくれないのか...。)
ただすぐに(あれから数ヶ月も経っているので)、他の図書館からのレンタルだとしたら、期限は大丈夫なのか?(ショック届いたらすぐに連絡してくれてもいいのに...)と心配になったが、手に取ってみると新品で、側面にその図書館の蔵書印、背表紙に分類シール、裏表紙にはバーコードシール、表紙裏や裏表紙裏にはお決まりの“帯”が切り貼りされており(意外とこれが嬉しい!)、見るどうみてもこの図書館の本だ。どうやら新規に購入してくれたようで、それならレンタルの延長もし易いし、新書で読めるのだから文句の付けようがない。(これからも図書館をフル活用させていただきます!楽しい

さて、この2冊を一読して最初に浮かんだ率直な感想は、危機管理やリスクコントロールに何らかの形で携わる人には是非一読をお薦めしたい、ということだ。史上稀に見る未曾有の大事故に対して、この方は本当に立派に陣頭指揮を執られ、多くの組織、人々を動かした。現場を動かすだけでなく、複数の組織間の調整や折衝、ときには遺族の対応など、本来なら国やもっと上の機関(現実にはそういった組織が十分に機能していなかったことが、この2冊を読むとよくわかる)がやるべきことまで、十二分に尽力されている。

だが、(その感想は何度読んでも決して変わるものではないが、)特に『捜索の真相』については、何度も何度も読み返すうちに、新たな感想も生まれてきてしまった。
著者が現場の最高責任者であったという立場と、ご本人の非常に几帳面な性格から来ている部分は多いにあると思うが、正確性をより高めようとするが上に、細部に渡る補足説明や付加情報が多くなりすぎて(逆にそれが贅肉となってしまい)、結果的に、本来非常にシンプルである事象を、より複雑な謎めいたものに見せてしまっている印象をどうしても受けてしまう。例えて云うならば衣(ころも)が厚い天ぷらのようなもので、衣のボリュームのせいで、その中の具材が何であるかを一見分かりにくくしている感がある。本格ミステリであれば、謎の本質を隠したり、ミスリードするための様々な装飾や肉付けは、作者が読者を騙すための絶好の手腕の見せ所であり、それが絶妙であればあるほど、賞賛を受ける性質のものではあるが、本書においては、(決して恣意的ではないと思いたいが、)結果的に真実を霞ませる濃霧あるいは煙幕となってしまっている。

墜落現場は一つ、そこに至った航路も一つである。まだ事故そのものが大きく報道されてもいない時点で、飛んでもいない飛行機をわざわざ見たと云って110番してくる人はまずいないだろう。まして、その目撃者は農婦である。いたずらな情報である可能性は極めて低い。しかも地元の人である。どの方角に何県の何地方があり、その手前に聳える山や峠がなんという名前であるかまで、日頃から熟知しているはずなのだ。

事故直後の一連の流れは次のように説明されている。

19時20分 警視庁からの第一報が入った。(中略)
「東京消防庁からの連絡で、ジャンボ機が熊谷上空でレーダーから消えたとの情報がある」
警視庁司令室からであった。
(中略)
19時30分頃 いまひとつの情報ルートは、警察庁から直接、警察本部警備部警備第二課の災害担当デスクにかかってきた電話である。
(中略)
連絡の内容は司令室に入ったものと同様である。警察庁では、19時25分から33分のあいだに埼玉、山梨、群馬、長野の四県に相次いで緊急連絡を入れたと聞いている。
(中略)
19時35分 あまり時間を置かず、警視庁司令室から第二報が入った。
「航空機がレーダーから消え、不明になっている。こちらの情報だと、長野県佐久市から群馬県藤岡市付近を旋回して行ったということである。墜落等の情報はないか」
(中略)
19時43分 引き続いて、第三報が入った。
「19時22分、佐久付近に墜落したらしい。乗員等は497人以上のようだが、未確認である」
19時45分、次いで、長野県警司令室から連絡が入った。
「臼田署管内の南佐久郡川上村梓山の農婦から110番通報があった。18時55分頃、川上村上空を埼玉県方向からセスナ機より大きい飛行機が飛んできて、本県南相木村の群馬県境辺りに墜落。赤い閃光を確認している。場所から推定すると群馬県側もあると思うが、情報はないか」

この長野県警に寄せられた110番通報は後のページでさらに詳細に述べられている。

19時5分頃、川上村梓山の農婦から110番が入った。(中略)
「18時55分頃、埼玉県方面から飛んで来たセスナ機より大きな飛行機が、大きく旋回しながら、南相木村と群馬との県境付近に落ちたらしく、赤い閃光がして、その後、黒い煙が上がった」
これは墜落後、数分余りのことで、警察庁から長野県警に連絡が入る前である。もちろんテレビ報道もはじまっていない。続いて、他の人たちからも、19時10分に加入電話で、19時21分には110番で、同様の通報が入っている。

この農婦は、飛行機が飛んできて、どの方向に飛んで行った(そして、見えなくなった)、とは決して云っていない。
“長野県南相木村の群馬県境辺りに墜落し、赤い閃光まで見た”、と云っているのだ。しかも、時間帯もほぼ合致しており、証言も複数に渡っている。
この目撃情報が全てであって、これ以上でもこれ以下でもない。これが真実である。

さらに、それを補完するような情報もあった。

警察庁からジャンボ機行方不明の連絡を受けた長野、群馬、埼玉の三県警は、即刻パトカーを出動させ、三県境の峠に向けて捜索に入っていた。
(中略)
碓氷(峠)、内山(峠)、田口(峠)は、ほどなく該当がないことが確認された。
残るはぶとう峠だけである。
(中略)
ぶどう峠に先着したのは、距離的関係から長野県警臼田署パトカーであった。
このパトカーの出発は19時05分。川上村住民の110番通報を受けてすぐであり、警察庁からの連絡以前の行動である。到着は20時07分であったという。
じつは「三国峠方向の山中に、かすかに白煙らしきものが上がっているのを目撃したが、すでに暗くなっており、それが墜落による白煙であるか否か、また、その地点の確認もできない」という同パトカーからの報告が残っている。

彼らは、長野方面や佐久方面に何かが見えた、とは決して云っていない。あえて云えば、“(ぶどう峠から)三国峠方向の山中に「それらしき煙かもしれないもの」が見えた”と云っているのだ。

同書には現場広域地図やフライトレコーダーの解析による航路の推定図が掲載されているが、それらを見る限りにおいても、上記2つの証言ならびに報告は、本来の墜落現場の方角ならびに位置をほぼ指し示している。
長野県南相木村の群馬県境辺り(の群馬県側)で、かつ、ぶどう峠と三国峠を結ぶほぼ直線上に、実際の墜落現場があるからだ。

周辺で飛行機が墜落したかもしれないと大騒ぎになっているときに、それを裏付けるような地元住民の目撃情報があり、さらに、目撃情報が指し示している方向に(かなり距離が離れていたとは云え)警察官が白煙らしきものを目撃している。
ときは既に薄暮。ほどなく漆黒の闇が訪れるぎりぎりの時間。確かにそれだけで墜落による煙かどうかの特定とはいかないだろう。だが、その可能性を残しておくことは決しておかしくないはずだ。それに住民による目撃情報を重ね合わせれば、自ずと導かれる一つの真実の扉(あるいは有力な可能性)があったはずなのだ。
松本清張の『点と線』ではないが、その僅かなタイミングに千載一遇のチャンスは与えられていたのだ。

実際、著者はそれから二年後の秋にぶどう峠を訪れて、
見晴らしのよい場所に立っても、現場までの距離は九キロ弱、あいだにある幾重もの尾根が邪魔になって、すり鉢底の窪みにあるような現場を直視することは不可能であること
(中略)
パトカーがぶどう峠に着いた時間帯は、米軍輸送機、自衛隊戦闘機が現場上空をしきりに旋回していた頃で、白煙よりもそちらのほうが見えなければならないのに、それを確認していないこと

などから、
別のものと錯覚したのではないだろうか。私は、当日の天候からみて、局地的な雨雲の可能性が高いと判断している。

と結論づけているが、まず現場が見える必要はない。(見えていれば、そもそもこんな混乱はなかった。)現場から上がっている煙の可能性があったのだ。また、輸送機や戦闘機は明らかに煙よりは小さい。9キロも先であればなおさらだ。しかも輸送機や戦闘機は動いているだろうし、それこそ“幾重もの尾根”や“局地的な雨雲”、あるいは、事故本来の煙の陰になって見えなかったかもしれないのだ。だが、煙なら見える可能性があった。もくもくと上空まで延びていたと思われるからだ。例え、漆黒の闇が訪れる直前の僅かな瞬間であっても、現場を知らせるためのSOSの狼煙(のろし)は確かに上がっていたはずだからだ...。

また、本書では、マスコミの報道、あるいはマスコミを通じて報道された元々の情報(ニュースソース)がいかにいい加減(様々な誤差や誤情報も含めて、あえて“いい加減”という表現をさせていただくと)であったかに、(情報の発端からそれが化けていくプロセスの検証も含めて)かなりの紙面が割かれているが、そもそもマスコミあるいは情報源が(意図的か、意図的でないかは別にしても、結果的に)いい加減な仕事をしたということと、
様々な情報を収集、分析し、その中からより確度の高いものにウエイト与え、組み合わせを行って、可能性の高い仮説あるいは推論を立て、それを実際に検証して、真実を導き出すという仕事は、明らかに違うものだ。次元の違う話なのだ。ちょうど、そう、映画『ホワイトアウト』で中村嘉葎雄が演じた警察署長のように、本来、警察に求められるのは後者の役割だったはずだ。(同様に、事後の対応を警察や自衛隊などの関係機関や、多くの地元ボランティアの人たちが、過酷な悪条件、スケジュールの中で、睡眠時間も十分に取らずに(取れずに)本当によく頑張った(その様子もこの2冊を読めば非常によくわかる)ということと、初期の対応を誤ったかもしれない、あるいは十分ではなかった、ということは、まったく次元の違う、別フェーズの話なのだ。)

実際に幾つものグループの、総勢何百人という捜索隊が、様々な山や谷に分け入って、一つずつ可能性を消していき(その過程も非常に詳細かつ克明に記述されているが)、結果的に最後にほぼ一つ残ったところが、実際の現場だった。
しかも、幾つもの誤報や誤差を含んだ情報が次々と流されるよりも前に、墜落現場をほぼ特定しているような目撃情報があったにも関わらず、それらが完全にどこかに追いやられてしまっている。果たして、これを本当に偶然あるいはただのミステイクと云えるのだろうか?
「初歩的なことだよ、ワトソン君」
シャーロック・ホームズならきっとこの口癖を云っていることだろう。

そう考えてくると、その後に起きた様々な誤情報や、それに翻弄され続けた警察を先頭とする捜索隊の顛末は、何者かの見えざる意思なくしては、起こりえなかったのではないか、と考えてしまうのは、むしろ非常に常識的な帰結のように感じてならない。

果たして、著者はどちら側の立場であったのか?決して意図した訳ではなくても、後に振り返ってみて、結果的にその見えざる手に操られてしまったと少しでも感じる点があったとしたら...。
そういう視点で本書全体を改めて見つめ直してみると、まるで、そう、島田荘司氏の『水晶のピラミッド』のように見えてこなくもないのだ。

水晶のピラミッド (講談社文庫)


Posted by : wa-dy | 日航123便 | 22:10 | comments(0) | trackbacks(0)
折角事故に題材をとっているのなら、もっと大切に大事に丁寧に扱ってほしかった...。『沈まぬ太陽』
スケールの大きさで人の心が震えるんじゃない。
そこに生きる人の心の尊さ、志の高さに共感できて、
初めて魂が震えるのだ。
あまりにも心根のちっぽけな人物達の愚行ばかりが目立ってしまい、
作品自体の大きなウエイトを占めているはずの、
事故そのもののフォーカスも大きくぼやけてしまい、
どこに、誰に、何を求めていいのかも、
わからなくなってしまった。

出る釘は打つ。人の足は引っ張り合う。
まるで、まるで日本社会の縮図を見ているような醜態絵巻に、
いくらアフリカの雄大な大地を持ってきても、
心を揺さぶられるはずもない。

折角事故に題材をとっているのなら、
もっと大切に大事に丁寧に扱ってほしかった...。
そこにしっかりとフォーカスを当ててほしかった...。

前を見ることをせず、横や後ろばかりを見ていては、
遠くを見ることをせず、足元ばかりを見ていては、
輝かしい未来があろうはずもない。
それは会社であっても、国や社会であっても同じだ。

沈まぬ太陽 スタンダード・エディション(2枚組) [DVD]


Posted by : wa-dy | 日航123便 | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0)
フェイル・セーフの崩壊。まるで魔が差すようにふと安全性が疎かにされている瞬間は、恐らく日常的に至るところで発生しているだろう。悲劇は常に大きな口を開けて、そういった隙を狙っているのだ。
映画『アポロ13』を久々に観た。懐かしかった。

アポロ13 [DVD]



トム・ハンクスとゲイリー・シニーズは、アカデミー賞を獲った『フォレスト・ガンプ』のコンビだ。ビル・パクストンとは『エイリアン2』のハドソン以来の再会だった。この後、ケヴィン・ベーコンとは『スリーパーズ』で再会し、エド・ハリスとは、横浜八景島で行われたプレミア上映映画『ザ・ロック』(まるで島そのものがアルカトラズ島だった!)で再会した(実際に舞台挨拶に来たのは、主演のニコラス・ケイジと監督のマイケル・ベイ、製作のジェリー・ブラッカイマーの3人だったが)。全部、公開当時にスクリーンで観ていた。思えば、この頃から数年間が一番映画館に足を運んでいた時期だった。そして、手元にはそのとき購入したパンフレットが今でも残っている。
今回観たのは『アポロ13』のほとんど終盤だけだったが、やはり最後の突入シーンには、感動を呼び起こされた。そして、今回新たに次の2点が印象深かった。

アポロ13号を回収した船が、揚陸艦イオー・ジマ(字幕では“空母 硫黄島”となっていた)であったこと。第二次大戦終盤の硫黄島の戦いに因んで名づけれたのは間違いないが、それだけ米国にとっては硫黄島の戦いが重要なウエイトを占める戦いだったのかと、改めて感じさせられた。少なくとも私は映画『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』が上映されるまで、そういう戦いがあったことさえ知らなかった。

ジム・ラヴェル船長役のトム・ハンクスによる最後のナレーション。

その後の調査で、爆発の原因は酸素タンク内の不良コイルの1つがスパークしたためと判明。打ち上げの2年前から組み込まれてた欠陥だった。

その瞬間、柳田邦男氏の「フェイル・セーフの崩壊」(週刊文春/昭和60年8月29日)の中で引用されている言葉を思い出した。これは日航ジャンボ機墜落直後の8月末に発表されたものだ。(『死角 巨大事故の現場』(新潮社)所収)

「パイロットの力ではどうしようもない事態」という言葉に、パイロットたちが今度の事件でいかに大きな衝撃を受けているかがにじみ出ているように思えた。
そのとき私の頭に浮かんだのは、二十年近く前に読んだ本の一節だった。その本は、アメリカの航空専門の作家ロバート・J・サーリング氏が、ジェット時代を迎えて間もない時点で書いた"The Probable Cause"(推定原因)というタイトルの、数々の航空事故の原因を分析したドキュメントだった。その中に「小さな欠損があって…」という章があり、次のような書き出しになっていたのである。
「航空機事故の中には、原因の端緒が、コックピットの中にではなく、パイロットが操縦桿に手を触れるよりはるか以前に、設計台の上に発しているものがある。ジェット時代はそうした過ちで幕を開けたのである。」

さらに、最近『ハッピーフライト』という映画を観た。

ハッピーフライト スタンダードクラス・エディション [DVD]



この作品は、航空業界の裏側や機内で発生する乗客との様々なトラブルをコメディ・タッチで描き、最後はハラハラ、ドキドキもする、といった本来軽く楽しめるエンターテイメント映画なのだが、別の見方をすると非常に怖い映画でもあった。シミュレーションではあったが、操縦不能になったときのコックピット内の危機的状況と墜落までの様子や、実際のフライト中においても、計器異常でスピード超過(これは今年発生したエールフランス機墜落事故の原因かもしれないと報道された問題と同じではないか!?)になった際に車輪を出して減速を試み、急降下するシーン、緊急着陸後の誘導・脱出に備えて客室乗務員たちが緊迫した様子で手順を反芻するシーンなどは、まさに日航ジャンボのトラブルを彷彿させた。また、整備の際に誤って工具をエンジン内に残してしまっかもしれないという騒動は、まさに前述の“パイロットが操縦桿に手を触れる前…”に該当する。

アポロ13号やJAL123便(の事故原因が事故調の結論通り、圧力隔壁の破損が原因だと仮定すると)の場合は、整備不良が原因ということになると思うが、柳田氏は、

破壊の発端が、仮に圧力隔壁にあったとしても、“フェイル・セーフ”の原則が生きていれば、機内の与圧が抜けただけで、墜落には至らなかったはずである。それが、他の重要機構まで破壊して操縦不能にしたところが、設計上の大問題なのである。発端が垂直尾翼側あるいは他の部分にあったとしても、問題は同じである。
さらに検査体制においても、“フェイル・セーフ”の原則は崩壊している。人間の作ったものにキズやひび割れが生じるのは避けられない。そのひび割れが大きな破壊を引き起こす以前に手当てをするのが、“フェイル・セーフ”としての検査である。大事故が起きてしまったということは、とりもなおさず、ひび割れあるいは他の不具合を未然に検知する体制ができていなかったこと以外の何物でもなかろう。

と警告している。

怒り隔壁の修理が原因だったとしても、一体、検査機関は何をしていたのだ。その後に発生した様々な事件、問題を見ても、そのルーズ(いい加減)さがよくわかる。
原発のトラブル隠し、耐震偽装問題、JR福知山線脱線事故のATS問題(さらには最近発覚した事故調接触問題)、薬害問題、ひいては、事故米の転売問題、年金問題、...。将来的には、高レベル放射性廃棄物の地層処分の問題など、挙げていったらきりがない。
一体この国は誰が安全性や信頼性を担保するんだ!!!

そして、その時点で公表されていた幾つかのデータや目撃者・生存者の証言など(以下)から、
◆交信記録・・・機長5回も「操縦不能(アン・コントロール)」
◆レーダー記録・・・異常発生後、急降下できていない。しばらくして脚を下ろすことでようやく急降下できたが、その後も、迷走を続けた。
◆目撃者の証言・・・「不安定な飛び方をしていた。」
◆生存者の証言・・・「かなりヒラヒラ、フライトし、ダッチロール」
◆乗客の遺書・・・「まわりながら急速に降下中だ。」
◆状況証拠・・・相模湾から垂直尾翼の多数の破片
◆飛行中の写真・・・東京都奥多摩町でたまたま撮られたカラー写真では、垂直尾翼は前寄りの部分しか残っていない。
当該機はそのとき、垂直尾翼がかなり破損し、方向のコントロールが利かなくなっていた。水平安定板および昇降舵の操作もできなくなっており、主翼についている補助翼(エルロン)も利かなくなっていた可能性が高い。つまり、エンジンのみで、辛うじて飛行を続けていたもの、と推定している。
さらに、これらは、本来、四系統でフェイル・セーフの設計となっていたはずの油圧系が尾部(圧力隔壁の後方、垂直尾翼の直下)に集中しているため、ウィーク・ポイントになっており、それらがすべて“アウト”になっていた可能性が高いことを示し、
◆ボイスレコーダー・・・機長「ハイドロ(油圧)全部だめ」
さらに、垂直尾翼の頂上付近に埋め込まれていたVOR受信アンテナが吹き飛ばされ、回線も切られていたため、自機の位置も確認できなかった、
◆交信記録・・・「現在位置を教えてください(リクエスト・ポジション)」
と推論を展開している。

123便は、いまや自分の位置を確認するための無線方位指示計からも見放されてしまったのである。しかし、機内からは垂直尾翼を見ることはできない。乗員は最後まで何が起きたのかを見定めることができなかったに違いない。

今回、因縁めいたものを感じたのは、次のような説明があったこと。

ボーイング747は、月に人間を送り込んだアポロ計画のために1960年代に開発された信頼性理論を全面的に導入して設計されたものであった。その信頼性理論は、部品の故障発生率から飛行機一機の事故発生率に至るまで、すべて「十の六乗分の一(1/10)」つまり「百万分の一」以下に抑えるというもので、“フェイル・セーフ”のシステムがこの目標を達成するための最も重要な柱になっていた。

『アポロ13』の最後のナレーションをたまたま聞いて、少し前に読んでいた柳田氏の言葉を思い出し、改めて読み直したところ、そこにアポロ計画に関する言及があったという訳だ。

柳田氏はさらに、

今度の事故のように、機体の構造が問われている場合に、問題点を理論的・実証的に浮き彫りにするには、実物と同じ尾部を使った大がかりな再現破壊実験が必要となってくる。なぜなら、例えば圧力隔壁が破れた場合に、その風圧の強さとか油圧系統や尾翼が受ける影響については、何のデータもないからである。

と述べているが、その後、事故調やボーイング社がそういった大がかりな実験をしたとは聞いていない。

そして、最後に次の言葉で結んでいる。

大事なことは、そういう個々の事態が、もしジャンボ機で起こり、しかも“フェイル・セーフ”で食い止められなかったらどうなるかという、危機予測の視点であったはずである。だが、航空界にはそういう視点が欠けていた。経験から教訓を読み取らないとき、「百万分の一」以下の確率の事象であっても、それは必然的に発生する。それが五百二十人墜落死の提起した重要な警告であろう。

『ハッピーフライト』でも明らかに“フェイルセーフ”の概念を疎かにしている場面(伏線)がある。結果的にそれが、その後の複数の要因と重なって、危機的な状況をもたらした。彼らが無事生還できたことは、奇跡としか云えないような状況だった。往々にして事故というものはこうして起きる。複数の要因が重なり、連鎖することによって...。そして、それは概ね初期段階のちょっとした判断ミスや、日常性から来る油断が原因だったり、効率性や経済性を優先したが上の必然の結果だったりする。まるで魔が差すようにふと安全性が疎かにされている瞬間は、恐らく日常的に至るところで発生しているだろう。悲劇は常に大きな口を開けて、そういった隙を狙っているのだ。
本来、軽く楽しめるはずのコメディ・タッチのフィクションが、もう一つの見方をした瞬間、恐怖のノンフィクションへと変貌した。
Posted by : wa-dy | 日航123便 | 14:35 | comments(0) | trackbacks(0)
『沈まぬ太陽』公開間近!
「映画人 渡辺謙 2020 トオクテチカイ、未来」を観た。
イラン、タイ、ケニア、...
僅かなシーンでも、
その大地に立つ彼の息遣いがはっきり聴こえ、
ギラギラと燃え盛るおてんき太陽のような、
煮えたぎる彼の熱い想いを垣間見た。
自衛隊が機体の一部を吊り上げているようなシーンがあったが、
果たして例のシーンなのだろうか...。
インターミッションありの映画は、『タイタニック』や『赤毛のアン アンの青春 完全版』以来。
いよいよ公開までカウントダウンですね!

Posted by : wa-dy | 日航123便 | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0)
『クライマーズ・ハイ』読了
小説『クライマーズ・ハイ』読了。読んでよかった。そこにはもう一つの“クライマーズ・ハイ”があった。映画とは趣きを異にする物語、人間ドラマがあった。

クライマーズ・ハイ



原作と映画では、かなりの共通点もあれば、かなりの相違点もある。いずれも日航機事故を題材にしながら、報道の現場・あり方(A)や、人の命・生と死(B)、家族・親子の絆(C)を描いている点は共通だが、原作はどちらかと言うと、A=B=Cのウエイトで描かれて見えるのに対し、映画ではA+α>B=Cのウエイトで描かれているように見える。ここでαは事故の再調査を求めるメッセージだ。

そして、原作を読んでから改めて映画を観ると、今までよく見えてこなかったシーンやわずかなセリフの意味(やその背景)がよく見えてくる。
“グリコと森永”、“大久保連赤”、“アンザイレン”...。

「ああ。朝っぱらからグリ森で動きがあったよ」
挨拶代わりに聞いたつもりが悠木は本気で驚いた。グリコ・森永脅迫事件は「かい人21面相」が沈黙して久しい。
「四ヶ月ぶりさあ。俺なんか、すっかり事件のこと忘れてたよ」
「また脅迫状ですか」
「て言うか、終結宣言みたいなやつ。食いもんの会社いびるのはもうやめた、とさ」

“連赤”については、元群馬県警察本部長で、事故当時、日航機事故対策本部長も努めた河村一男氏が、著書『日航機遺体収容 123便、事故処理の真相』(イーストプレス/2005年発行)の中でも、

日航機遺体収容―123便、事故処理の真相



群馬県警はかつて、作家・横山秀夫氏が『クライマーズ・ハイ』(文藝春秋)のなかで「大久保・連赤」と呼ぶ多数遺体の発掘という特異な捜査経験をしているが、それでも被害者数は二桁止まりである。

と言及している。

ちなみに、少し前に映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』がやっているのをたまたま観たが、途中からどんどん自分が追い込まれていき、胸が苦しくなり、次は自分が総括を求められるのではないかと、まるで映画の中に入ってしまったような錯覚、恐怖心を味わった。後日、自分が処刑される悪夢まで見てしまった。坂井真紀が出ていたが、あえてそうしなくてもよいようなシーンで、あえてそうしているところには、彼女の女優魂を見た。前半は見ていないので、是非機会があればもう一度全編通して観てみたい映画だ。

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [DVD]



アンザイレン、

ドイツ語で「互いにザイルを結び合う」という意味だ。

悠木がなぜお詫び広告を頑なに外させたのか、

日航の社長名で出された「お詫び広告」だった。その広告のすぐ上には、遺体との対面を終えて泣き崩れる遺族の写真がでかでかと載っている。(中略)いま目の前にある紙面はどうにも許せなかった。アシスタントパーサーの証言の件もある。何もかも手回しがよすぎるのだ。日航だけではない。お詫び広告と遺族写真を紙面に同居させた北関もまた同罪に思えた。

読者投稿欄から常連をはずさせたのか、

しかし、その一部に質の悪い輩が混じっていることもまた確かなのだ。
彼らは何かに憤ったり感じ入ったからペンを執るのではない。常にペンを握り締め、鵜の目鷹の目で「書く材料」を探している。借り物の意見と文章を駆使して、すべての事象を「愛」と「正義」で括ってみせる。日航機事故は恰好の材料に違いない。
五百二十人の死。その何倍もの数の遺族の悲しみ。彼らはここぞとばかり存分に善意のペンを揮ったのだろう。

もわかった。

原作でも映画でも安西が遺した例の言葉は意味深だ。

「なんで山に登るんだ?」
「下りるため」

原作と映画でも微妙にその解釈は異なっている。いずれにしても、言った本人にそれ以上確かめることができないので、受け手側で解釈するしかないだろう。私は、こう感じた。

山に登るのは、無事に下りるためである。決して、落ちるためではない。
それは航空機にも言える。
危険を冒してまで遥か上空に上るのは、目的地に無事下りるためであって、決して、落ちるためではない、と。

映画の中で、再調査を願うメッセージと同じくらい感銘を受けたのは、悠木が最後の最後まで貫いた新聞記者としての主義、ポリシーだ。

チェック、ダブルチェック。

こうあって欲しい..。これくらい慎重であって欲しい。
相変わらずスクープや視聴率にばかり踊らされているメディアや報道には本当に呆れる。
たいしたニュース素材でもないのに、たまたま映像が撮れたからといって、スクープとして鼻高々に流すニュース番組。
他を抜こうとするばかりに、十分な裏も取らないで、平気で繰り返される誤報の数々...。
ヤラセや捏造も一向に後を絶たない...。
先日深夜に放送されていたある検証番組をたまたま目にしたが、調査から放送、お詫び、検証、その後の対応に至るまで、最初から最後まで、まさに“いい加減のオンパレード”としか言えないお粗末さには、本当に絶句してしまった。

なんで十分に情報の正確性を確かめずに放送なんてできるの?
それが一流の大学を出た人たちが揃いも揃ってやることなの?
なんでお詫びをアナウンサーやMCにやらせて済まそうとするの?ディレクターなり番組の一番の責任者が、しっかり土下座でもしてやるべきものじゃないの?
本当に誤りを正そうという気があるのなら、なんで問題の放送を流した番組内(時間帯)で検証番組をやらないの?視聴者がたいしていないような深夜に流して何の意味があるの?
そこには自浄能力のカケラも見られない。
そんな対応しかできないのに、いまだにこの番組が存続しているのも不思議でならない。
MCたちもよく平気で続けられるものだ。報道マンとしての意識を疑う。
真相報道が聞いてあきれる。
だが、これは決してこの番組や放送局に限った話ではない。
この顛末を対岸の火事のようにニュースとして流している他局も同類にしか見えない。

もっともっと報道のあり方を考えて欲しい。
この小説や映画がこんなにもヒントを与えてくれているのに、肝心の当事者達は何にも感じないのだろうか...。
情報番組という名のもとに、報道がどんどんどんどん写真週刊誌やタブロイド誌のように、エンターテイメント化している流れ、ノリの軽さは一体いつまで続くのだろうか...。最近のある事件での過熱報道もそう..、もっと他にやるべきことはないの??

女性キャスターが大きな瞳に涙を浮かべていた。その肩ごしに、手ブレの激しい映像が大写しにされていた。藤岡市民体育館の前で泣き崩れる遺族の姿だった。
キャスターの顔をまじまじと見つめ、悠木はリモコンでテレビを消した。
真っ暗になった画面を見つめた。お疲れ様。明るく掛け合う声が聞こえた気がした。それでも女性キャスターは席を立たないのか。酒や食事の誘いも断り、照明の落ちたスタジオで、一人さめざめと泣き続けるとでも言うのか。
泣くのは遺族の仕事だ。
悠木は吐き出すように呟いた。
Posted by : wa-dy | 日航123便 | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0)
TOP